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結果をもたらすコミュニケーションスキル

 

 

人と人が暮らす社会では、コミュニケーションが大切です。

コミュニケーションがうまくいくと

お互いに生き生き暮らせますし、

うまくいかないと気持ちが落ち込んでしまいます。

病気などで辛いときはどんなに励まされても、

かえって生きる意欲を失くしてしまうことがあります。

両親、パートナー、子どもたち。

上司や同僚、部下、

ご近所、お友だち、ご親戚。

大切な方とのコミュニケーションがうまくいかない。

そんなときは本当につらいものです。

私は8年間、認知症の母を介護しました。

「意思疎通困難」と言われる症状があり、

コミュニケーションにはたいへん苦労したものです。

しかし母は、右半身まひを1か月で克服し、

昼夜逆転や妄想などの激しい症状を克服し、

お茶碗を洗い、

最期まで自分らしいほがらかな生涯を過ごします。

 

ふり返ってみれば、

結果をもたらしたものは母の意欲でした。

 

ここで、私が無我夢中でおこなった、

特殊なコミュニケーションスキルについてご報告いたします。

 

 

 

 

1、コミュニケーションが困難に陥る

 

 

 

みなさんは「認知症」という病気をご存知ですか? 

私が学生のころは、そんな病気がある

ということを知りませんでした。

認知症は脳のトラブルで、発症にはさまざまな原因があります。

母が患ったのは、

「アルツハイマー性認知症」と「脳血管性認知症」です。

以下は、学会誌に掲載されたレポートの抜粋です。

 

わたしの母は50代で認知症の症状が出ました。

それが病気と知らないまま、受診することなく在宅で過ごします。

季節保育所で保母をつとめ、

地域の婦人会で活動するなど活発に暮らしました。

子どもたちが家を離れ、老夫婦2人暮らしに。

町の駐在から「ああ、あのおばあちゃんね」と言われるような、

わけのわからない通報をしていたようです。

 

80代で夫と死別。

長男夫婦に引き取られ、うまくいかずグループホームに。

半年後面会が実現、我が家で在宅介護開始。

84歳で右半身まひ発症、

当日から自力でトイレに通い、1か月で克服。

回復後は幻聴・妄想も再開し、

被害的な覚書がたびたび見つかります。

 

妄想を言いつのる母に、

「古い脳梗塞の跡がみつかったの。

認知症なの。盗まれたのではなく、妄想だったの」

わたしは悩みながらこの言葉をぶつけてしまいます。

没後、遺稿に「今日よりは半馬かとなる我が運命」の句。

晩年、家族関係も自ら改善。90歳で亡くなるまで、

自分でお茶碗を洗い、

周囲を笑わせるほがらかな暮らしを生きました。

 

 

 

 

心身の病状、無関心、自尊心の低さ。

怒りやあせりのような行き場のない感情。

つたないコミュニケーションスキル。

困難に陥る原因を立体的にとらえます。

 

 

 

 

 

 

2、意欲があれば人生は生き生きしたものになる

 

 

 

認知症の進行は、その人によって早く進む方と、

ゆっくり進む方がいらっしゃいます。

母はゆっくり進むタイプだったようですが、

82歳の頃が最も重症で、

その後問題行動が回復してまいります。

 

50代 嫉妬妄想、もの盗られ妄想はじまる


82歳 夫と死別、グループホーム入所


83歳 在宅介護へ


84歳 右半身まひ発症。古い脳梗塞の跡が複数と、

    アルツハイマーが検査で確認される。1か月後に回復


88歳 遺稿となった俳句を詠む。

     3句のみ「投函して」とわたしに託す


89歳 左右を介助され、階段を歩いて五階層の天守閣へ


90歳 脳梗塞と肺炎を併発し1週間意識不明のまま昇天

 

 

 

失意に陥ることは誰にでもあります。

そこから意欲を取り戻すために、

どんな方法があるのでしょうか。

そこに方程式はありません。

おひとりおひとり主体的に、

個別にデザインしてまいります。

 

 

 

 

3、コミュニケーションとは、相手の話をまず聴くこと

 

 

 

84歳で右半身まひを発症した母。

「自分でおトイレに行きたい」

その思いが実現できたことで、奇跡的な回復を遂げて参ります。

「しもの世話を受けるようになったらおわり」という信念は、

生きる意欲を支える重要なカギでした。

 

「いうんええきう(自分でおトイレに行くことができる)」

と言いはる母。

体が不自由になったことを頭で理解していても、

感情では受け入れません。

わたしも「無理無理。危ないからやめて」と一切口にせず、

(やってみてできなかったらまた考えよう)

とおおらかに考えました。

発症当日、ひとりでトイレに行けるように車いすの操作を教え、

翌日、トイレ内に小さな手すりを取り付けます。

車いすを使わなくなると、床置きの手すりをレンタル、

伝い歩きが安全にできるように支援します。

やがて手すりも不要になりました。

 

まひ発症当日に排泄が自立し、

失敗を繰り返す時間的経過がありませんでした。

「自分でできる」から「もう今までのようにはできない」に

気持ちが移行しなかったのはこのためと考察します。

「できる」という思い込みが裏づけされ、

意欲が維持できました。

背もたれがあっても斜めになってしまう状態で

車いすを自操、

ドア下の段差はふんばって前輪を浮かせ、

ひとりでトイレに行く。

手すりを持って数歩移動し便器に到達。

こうして母は、右半身まひを1か月で克服し周囲を驚かせます。

 

 

どんなにとんでもないことでも、うなずいて聴く。

「できない」「だめだ」と否定するのは簡単ですが、

かんじんの、やる気をそいでしまうことも。

前向きに聴いていただくことで、

意欲が引き出されます。

※お話の内容・状況によって対応が変わることがあります。

 

 

 

 

 

4、スキンシップが与える安心感と「甘え」

 

 

 

自分で立てない、歩けない母。

月1回、自家用車で通院します。

発症は8月で、病院はお盆休み。

うまく水分が取れずに高熱を出し、

診療している病院を探し、

点滴を受けに数回通院しました。

庭や駐車場は、30キロの母をわたしが抱きかかえ、

院内は車いすを使用。

「わういええ(わるいねえ)」と身を離すため、

かえってバランスを崩し不安定になります。

そのたびに

「しっかりくっついてて! よろけると危ないの!」

と叱って

ぎゅっと抱きしめました。

抱きかかえることは、「十分に甘えさせる」ことでした。

自分の体のことで精いっぱいだった母は、

闘病中、妄想を口にしません。

回復後に妄想が再開したことで、

幻聴、妄想の何割かは

寂しさから起こったと考察しました。

 

 

 

 

お互いの距離感によっては

有効なスキンシップ。

「甘え」が満たされることで生まれる、

がんばる気持ち。

安心感は人生の土台です。

 

 

 

 

 

 

5、こちらが不在の間も思いは伝わる

 

 

 

わたしが昼夜働くため、母はほとんどひとり暮らし。

生まれつき弱視で白内障を患うことから、

ひとがいるかどうかしか見えない母には

留守番も入浴も危険。

右半身まひがあり、

転倒したら楽な姿勢を取ることもできない。

こまめな安否確認が必要です。

調理・入浴はヘルパーに依頼。

落としても拾わなくていいように、

スプーンは常にふたつ。

食物もお茶もくちびるの右端から

こぼれてしまいます。

水分はすいのみ(らくのみ)を使って自分で飲む。

回復に応じて調理形態を

「とろみ」から「きざみ」「やわらかめ」へと変える。

仕事の合間に、わたしも帰宅させていただきました。

誰かがいてくれる安心感、明るく聞いてくれる話し相手。

ほがらかに過ごせたことが母の意欲を支えたと考察します。

 

 

 

元気な方でも、思いやりが感じられるとうれしいもの。

見逃されがちですが、

ここのデザイン、重要です。

 

 

 

 

 

 

6、観察と理解がコミュニケーションを深めていく

 

 

 

車いすでトイレに行き、ひとりで便器に移る。

転倒したら骨折してしまいます。

母を引き取ったとき、転倒・骨折を予想し、

知人が取り扱っていた「カルシウム健康食品」を二か月間摂取。

右半身まひ発症は翌年夏のことでした。

生まれつき虚弱だった母は、子どもの頃から鉄棒が大好き。

温泉の手すりで毎回けんすいをしていました。

木綿糸を上腕に巻き、筋力でこれを切ります。

高齢になってからもゲートボールにはげみ、小柄で身軽でした。

闘病中、車いすごと転倒し、両足は痣だらけ。

「いふへいうひょうほ(生きている証拠)」

と笑うほがらかさも、

抵抗力を高めたものと考察します。

 

 

病状や生育歴、家庭環境、

有形無形のリアクション、

表情やボデイランゲージ。

観察力と理解力を深めていきます。

 

 

 

 

 

7、口に出す言葉には優先順位がある

 

 

 

わたしは昼夜働いて生活を支えていました。

転職もできず、苛立って母に当たりたくありません。

業務を終え夜中に帰宅すると、床に母が倒れています。

「おいおおかあをおとひはお(お芋の皮を落としたの)」

と言う母。

いまから片づけを始めたら、

疲れきって当たってしまうでしょう。

「ここは明日、ヘルパーさんにお願いしよう。

さあ、もうお布団に入ろうね」と抱きかかえ、寝かしつけます。

床に張り付いた芋の皮は数日こびりついていましたが、

見ないようにしてやり過ごしました。

 

「家族に仕事を辞めさせては申し訳ない。

家族の重荷になることが辛い。生きていても仕方がない」

この思いがうつにつながり、意欲を失い、

主体性も抵抗力も下げてしまうと考察します。

グループホームから引き取られた当初はうつ状態でした。

「若いころ続けていた俳句を詠んでみたら」

と勧めても手につきません。

右半身まひ回復後も、食事を残しては隠れてお菓子ばかり食べ、

「もう長くないから好きにさせろ」と起きてこない。

わたしはオカリナで曲を作り歌います。

ほかの部屋でときおり奏でる

オカリナや歌に刺激されたのでしょうか。

「どれ、わたしもひとつ詠んでみようか」

と思えたのでしょうか。

晩年の俳句にはいのちの美しさがあふれています。

「お菓子じゃなくて、まずごはんでしょう!」

「寝坊しないで起きて! 規則正しく暮らそうよ」

 

とぶつかるたびに

「お母さんはわたしが看取るの!」

こう言い切られたことや、

 

長年執着していた被害妄想を手放したことが、

前向きな創作意欲につながったと考察します。

 

最期の言葉は

「ひおほ、ひおほ(わたしは大丈夫だから仕事に行きなさい)」

というものでした。

 

娘の重荷にならないことが、母の誇りだったのでしょう。

 

 

日ごろあまり意識しませんが、

わたしたちは普通、

自分の感情を最優先で口にします。

そのため、相手を深く傷つけてしまうことも。

お互いの関係でいま一番優先したいこと。

ここを押さえた発言大切です。

 

 

 

 

8、コミュニケーションネットワーク

 

 

 

転居したばかりで近隣とのかかわりがなく、

行政にも地域にも安否確認体制がありません。

母とわたしが頼れるのは、サービス事業者だけでした。

ヘルパー訪問回数を増やし、

限度額を超えた部分は自己負担しました。

入浴を介助し、調理した食事を配膳。

サービス終了後、

母はゆっくり時間をかけ自分で食べ、食器はそのまま。

車いすで台所に入れるようになり、

つかまって歩けるようになり、

やがて使用した食器を流しに運ぶようになり、

ついに流しによりかかって自分で洗うようになります。

 

ずっと同じ訪問介護事業所を利用。

調理形態などこまかい要望も叶えていただき、

社長夫妻も、非批判的・受容的な対応でした。

当時を知るベテランヘルパーは、

訪問のたびに回復をほめてくださり、

なじみの方の温かい言葉は母の笑顔を引きだしました。

ヘルパーと母の信頼関係を最優先し、

介護に抵抗する母とぶつかることはわたしが受け持ちました。

闘病中通所介護は休み、1か月後杖歩行になって再開。

「皆さんのおかげでこんなに良くなりました」

と闊達よく話すことが出来、

送迎の方を驚かせます。

 

元気に通所していましたが、

ほがらかな人柄が裏目に出て、

作話が混じる会話に、

利用者だけでなく専門職も混乱させてしまいます。

87歳頃から同行訪問で実習生がたびたび我が家を訪れました。

若い人をからかい、昔のことを教え、共に歌う。

本人らしさを引き出すサービスが、

生きる喜びを支えたものと考察します。

 

 

 

行政や法律、病院などの関係機関を

「社会資源」と言います。

あなたの問題にかかわる社会資源を見つけましょう。

さらに、自分自身の意欲やノウハウは

「内的資源」です。

使える資源を整理してみる。

これが大切です。

また、「霊的資源」も活用できます。

これについては後述いたします。

 

 

 

 

 

9、ワンダーケアをはじめる

 

 

 

嫉妬妄想、もの盗られ妄想は50代で始まりました。

在宅介護中、

「屋根の上を子どもが走り回る。

近所の人が集まって見ている。

うるさいからやめるように言っておいて」

「家も会社も乗っ取られるからなんとかしなくちゃだめ!」

「夜中に妹が訪ねてくるのに裏の家で泊めてしまうので会えない」

等、幻聴や妄想が繰り返されました。

母の在宅介護中、仕事の都合で何度も転居しました。

見知らぬ土地で日中独居。

その寂しさを理解・共感し、

言葉で言っても素直に伝わらないときは

心の中でしっかり母を抱きしめました。

それだけで不思議と母は落ちつくのです。

 

初めの貸家は家庭内暴力で離婚、空き家になっていました。

何も知らされていない母ですが、

男性の怒鳴り声と女性の泣き声を聞いたと訴え、

わたしが男性に殴られていると思い込んで

「辛かったね。何とかしないと」と心配します。

「夢だよ」と言いきかせても「確かに聞いた」と言いつのります。

妄想や昼夜逆転、日夜の業務に疲れふらふらになったわたしには

打つ手が見つかりませんでした。

(お母さんにその自覚は皆無だけれど、

霊的な声が聞こえる体質? 

これはまさか霊現象?)と悩んだ末、

母に黙ってこっそり祓い清めを行いました。

「祓いたまえ。清めたまえ」と言いながら

榊を塩水に浸して各部屋にふりまくのです。

その後不穏な訴えはなくなりました。

店子の出入りが激しい次の家では

「女性が暴漢に襲われた」と夜中に通報することが続き、

玄関にお札が貼ってあった3番目の家では、

「なんだお前なんかに」

と鋏を振り上げて介護抵抗。

池で女性が亡くなった4番目の家では、

夜中にたびたび叫び出しました。

祓い清めを求めるうち、わたしはとうとう祝詞を謡い、

衣装を縫って舞うようになります。

 

晩年、突然わたしの手を取り、

母ははっきりとこう言いました。

90歳、認知症歴40年。

「人生山あり谷あり。だけど、生きていこうね」

その日、顔には出しませんが仕事で落ち込んでいたわたし。

へこんだ我が子の気持ちを察し自ら寄り添う母。

子どもの頃から、妄想ばかり言う母をなだめ、

その度に振り回されてきました。

大好きだけど大きらい。

母に対して両面感情を抱えていたわたしは、

ただおどろき、返す言葉を失います。

 

転居など環境の変化により症状が悪化することがあります。

介護職としてできるかぎりの対応を続けますが、

限度を超えた症状と仕事の疲れから、

やけになって家屋の浄化を思いつくのです。

すると、目に見えない残存エネルギーが取り除かれ、

激しい妄想や幻聴、問題行動が収まります。

霊的な環境から受ける影響や

祓い清めの効果に個人差はあるのでしょうが、

感情面でも落ち着いて、母には良い結果になりました。

このことから、

「土地・家屋の浄化・祓い清めは

スピリチュアル的な環境整備」

と位置づけいたします。

 

 

 

土地・家屋の浄化と祓い清め。

実はこれが、霊的な環境の整備です。

安心・安全に暮らすために、

わたしたちは

掃除や整理整頓をしますね。

同じように、

霊的に安心・安全に暮らせるよう、

浄化して環境を整えます。

 

 

 

 

 

10,ワンダーケアには結果が伴う

 

 

 

多くの方々に支えられ、母は認知症を40年も患いながら、

生き生きと自分らしく暮らすことができました。

遺品の中から見つかった数々の俳句には、

母の生きた日々と、そこにあるぬくもりが伝わります。

 

行きはぐれまよい入りにし小みちかな


こみどりのそのにうごかぬおや子づれ


父の手のたしかさ見上ぐ初夏の空


空の青写して田の面ひかりおる


父母のひざトテ馬車の行く春の風


ハイキングだみ声あげし人想う


巨ざくら空に向かいて登るごと


一点を見つめしあとの大あくび


花の枝のゆらぎて人をまねくごと


コスモスを連れきて部屋をなごませり


あじさいのみだれ咲き見る日は楽し


若き等が集う色香や夏祭り


頭が重いたんぼの草も腰をまげ


さかずきを干す人のむ人うたう人


ばらの花さされしとげを忘れおり


点々と早苗ならびて時を待つ


田は青田犬はねそべりながれぐも


越しかたも行くてもはるか岐路に立つ


今日よりは半馬かとなる我が運命

 

 

うつ状態で何も手につかなかった母が、

ひそかに俳句を詠んでいたことは、

思いがけないことでした。

その人らしい生き生きとした毎日。

意欲が、結果を出します。

 

 

 

 

 

11、病状を理解することも、コミュニケーションの効果を上げる

 

 

 

「病気のことは専門家に任せておけば安心」

こう思う方は多いようです。

けれども、サービス会議や事業者への連絡調整、

福祉用具の手配、住宅改修工事の見積もり、

行政への書類提出など、

サービスが開始するまでどうしても時間がかかります。

一方、症状を理解することで対応がわかり、

よりよいケアが家族によってタイムリーに行えます。

ですから、

 

第1に病気や症状の専門的な理解は家族にとっても大変有益です。

第2に、本人も家族も、介護の犠牲にならないことが大前提と結論します。

 

愛する人の笑顔と幸せは生きる意欲と喜びを引き出し、

お互いの人生の質を高めるからです。

 

ワンダーケアを進めると、

相手の気持ちがわかるようになります。

物理的に離れていても、

寄り添ってあげられるようになるのです。

 

 

 

 

 

12、ワンダーケ

 

 

 

「魂は振動している」という話を聞いたことがあります。


肉体も振動しており、たましいに比べると、

振動は重くゆっくりなのだそうです。


母の介護に疲れたわたしは秘術を考案し、

奥の手として「魂の共振」を使いました。

 

そうすると、母の不安や寂しさ、

味方になってほしいという心が、

不思議と落ち着くのです。

けがをくり返すことがなくなり、

BPSD(周辺症状)が改善されて、

認知症の母が、わたしの気持ちに寄り添う言動をとるのです。

それは、妄想が始まった50代から、

母にはなかなかできなかったことでした。

 

わたしが子どもの頃から、母には妄想がありました。

お墓参りのたびに、
「墓地のじざかいが、けずられていく。

ここにあったのに、もう、こんなにけずられてしまった」
こうなげくのです。

境には植木もあり、子どもの目にも、異変は見られません。

わたしはただただ不思議に思いました。

 


「お風呂をのぞかれ、写真を撮られている」
と、窓にガムテープを厳重に張り、
「窓の外で話を立ち聞きしている」
こう、苦悩を打ち明ける母。

 

高校生の時には、わたしは聞き役で、

なだめる立場にありました。

 


「お父さんがわたしを追い出して、

新しい妻を持とうとしている。

家も財産も取られてしまう。

居間で相談しているのを、わたしは台所で聞いた」


それが母の「嫉妬妄想」であるということも知らず、
(お父さんはひどい。お母さんを追い出そうとしている)
純朴なわたしは、ひそかに男性不信をつのらせます。

 


友人の家庭で温かさに触れてみると、

最高だと思っていた自分の家族は、

なんと無残なのだろうと理解できるようになりました。

 


大人になってからは、
(お母さんはきらい。親子じゃなかったら、絶対につきあっていない)
とまで思っていたのです。


そんな家族でしたから、母がグループホームに入所したことも、

ひとつてに知らされて驚き、あわててあちこち問い合わせます。

 

ところが、
「個人情報ですから、入所先は娘さんにお答えできません」
と、行政も担当ケアマネも警察もそう答えるのでした。

これに逆上し、

まるで手負いの母熊のように次々とみんなを怒らせ、

なんとか母を引き取ることになったとき、
(ああうれしい。やすこさんがくる)
こう喜んでいる自分に気がつきました。

 


(あれ? あんなにきらいだったのに・・・)
大きらいという気持ちも、確かにまだあるのです。

これに「両面感情」という名前があることは、

認知症の学びを深めていく過程であきらかになっていきます。

母を引き取ってから、わたしは、オカリナで曲を作り、

詞をつけて歌うようになりました。


なにかに導かれるように、輪廻転生や、

ヒーリングの本をむさぼるように読みました。


はるか縄文を想いながら、祝詞(のりと)を歌い、

オリジナルの衣装を作り、神の依代(よりしろ)として、

舞いを奉じるようになりました。


「わしらは禰宜さまの血筋だ」
本家から、こう聞かされたのもこの頃です。


音霊(おとだま)を用いて魂を共振させると、

温かいなにかが、母の魂からわたしの心に流れ込みます。


お互いに頑固者ですから、

言葉によるコミュニケーションには限界がありました。

何も言わなくても母が安定し、症状が改善される。

お互いのつながりが深まってゆくことは、

なんとも不思議なことです。

 

目をつむり、腰をおろし、ゆったりとした姿勢をとります。


やさしい風、心地よい陽ざし。


大好きな樹木や、花の香り。


愛するひとが、あなたの前にいるのがわかります。


その方は、すでに亡くなってしまったかもしれません。


遠くにいて、なかなか会えない。


もしかしたら、未来のパートナーか、お孫さんかもしれません。


両手を広げて、愛するその方を抱きしめましょう。


言葉はいりません。


自分が風になったように、あるいは大地であるかのように、


ただあるがままに抱きしめます。

 

音霊(おとだま)、または言霊(ことだま)を使います。


オカリナ、ハーモニカ、篠笛、太鼓、尺八、ピアノなどの楽器。


かしわ手、風鈴、おりん、数珠。


祝詞、お経、真言、異言(自分には意味の分からない言葉)、

宇宙語。


なんでも結構です。

なにも考えず、なんの思いも込めず、ただ柔らかく、

心にその方を抱きながら、しばらくの時を過ごします。

30秒、あるいは20分でも結構です。

おそらく、2秒でもいいでしょう。

 

たましいに、地球上の時間は関係ありません。

気が向いたとき、不定期に行ってもいいでしょう。

できれば、その後の経過を観察しましょう。

 

 

ワンダーケア。


特殊なコミュニケーションスキルをお求めの特別なあなたに。

 

 

 

 

宗教や修行、なにか特殊な能力は必要ありません。

生まれつきできるようになっているのに、

わたしたちは

これまで教わる機会がありませんでした。

 

ワンダーケアは心の力を使います。

だから、どなたにもおすすめです。

 

 

 

 

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